プロフィール

心理カウンセラー たかはる

はじめまして。
カウンセラーのたかはるです。
(↑の似顔絵は妻に描いてもらいました)

こうして私のプロフィールをご覧いただき、本当にありがとうございます。

カウンセリングは「人と人」との関係の中で行われる、繊細であたたかな営みだと私は思っています。だからこそ、カウンセラーとの相性はとても大切です

少し長くなりますが、このページでは、私自身のこれまでの人生の歩みや、どんな想いで今の仕事をしているのかを、ゆっくりお伝えできたらと思っています。

私のことを少しでも知っていただくとともに、あなたの心が、少しでも穏やかになるきっかけとなれば幸いです。

家に安心できる場所ではなく、毎日が怯えと我慢でいっぱいだった

私の家族は、父と母が共働き、歳の離れた姉が二人います。一人は一緒に暮らし、もう一人は近くのアパートで暮らしていました。

いつもお酒に酔って家族に暴力をふるう父、小さいころから怒鳴りつけられたり、頬を叩かれるなどの暴力を受けていました。

父と母はよく喧嘩をしていました。喧嘩しては、夜遅くに母と家を出て、姉のアパートで夜を過ごすことも多かったです。

玄関で父と母が引っ張りあうので、私の肩の関節が外れてしまったことも何度か。

そのことは記憶に残っていませんが、母が父から殴られたり、押し倒されたりしている横で、一人で泣いていたこと、母と家出をして夜道を歩いながらずっと泣いていたこと。
このとても暗くて、悲しい記憶は、今でも頭の片隅に残っています。

父と一緒にいるのは、とても怖かったです。

父の仕事が休み、母が仕事。そんなときは父と二人で過ごす日も何度かありました。

私が起きたら、もう父はお酒を飲んで酔っ払ってます。

母の仕事を見送る玄関で、いつも私は恐怖と寂しさでいっぱいでした。

でも、泣いたりしたら、父に怒鳴られる。
怒られるのが怖くて、泣くのをこらえて、「行ってらっしゃい」。

いつも怯えながら、父の顔色を伺っていました。怒られないように、暴力を受けないように。

父に怯えながら暮らし続け、心と体に異変が起き始めた

小学生になり、友達と遊ぶ機会も増えてきました。

学校から帰ると、鞄をおいてすぐに遊びに。

しかし、私の家は門限が厳しく、1分でも過ぎると家の鍵が閉まってしまいます。

楽しく遊んでいる中でも、ずっと時計を意識しながら過ごしていました。

ある日、門限を過ぎてしまいました。鍵はしまっています。

恐る恐る、家のチャイムを押すと鍵が開き、ドアを開けた瞬間、

頬に2回、ビンタが飛んできました。

痛くて涙ぐむ僕に、「ふざけんじゃねぇぞ!」と怒鳴りつける父。

その日もお酒を飲んでいて、酔っぱらっていました。

父に怒られないような、良い子でいないといけないと思い続けていました。

声をあげて泣きたくても、泣いたら父に怒鳴られる、手を上げられる。

だから、泣くこともできず、怒ることもできず。

常に自分が否定されていると感じていました。

小学2年生の頃には、頻繁にまばたきをするようになり、徐々に口をゆがめる、片方の頬が引くつくなどの顔面痙攣症、喉を鳴らす、首や方を傾けるなどのチック症状が出始めました。

なんでこの家族に生まれてきたのか。

周りの親はもっと優しくて、仲が良いのに。

なんで僕ばかりこんな辛い思いをしないといけないんだ。

と、ひどい後悔を感じながら生きていました。

「本当の自分を隠して生きていた」

~笑顔のふり、普通のふり。そのうち、自分が誰かわからなくなった~

大学に入学してすぐ、まわりの同級生たちは自然に友達をつくっていきました。

でも私は、人と話すことが苦手で、自分から声をかけることもできずにいました。

ゼミの中でも、ひとり浮いてしまわないようにと、輪の近くでうなずきながら、会話に入っているふりをしていました。

本当は一人のほうが気が楽なのに、「一人でいる自分」を見られるのが怖くて、ただ必死に周囲に合わせていました。

自分の気持ちも表に出すことはできず、いつも笑顔でふるまって、自分を押し殺していました。

そんな毎日を繰り返しているうちに、ふと頭の中で、「自分が生きている意味ってなんだろう」と感じはじめました。

誰も私なんて気にしてない。
私がいなくなっても、きっと誰も悲しまない。

生きていることが、ただただ苦しくて、重くて、意味のないことのように思えてきました。

気がつけば、学校に行く回数は減り、部屋の中でひとり過ごす日々が増えていきました。

何もしたくない。
誰とも関わりたくない。

ただ息をしているだけのような、そんな時間が、だらだらと流れていきました。

「そこに“自分”はいなかった」

~頑張ることが空しくなり、気づけば家でも笑えずにいた~

地元の民間企業に就職しました。

やっと家族も安心し、安定した道を進みだせたと思っていました。

でも、現実は違いました。

当時の職場は、どれだけ頑張っても評価されることのない、完全な年功序列の世界。

どんなに早く正確に仕事を終えても、何も変わらない。むしろ、時間をかけた人のほうが残業代を得られ、得をするという理不尽な仕組み。

上司はさっさと仕事を切り上げ、飲み会へ。

新しい提案や改善の声を上げても、「そんなことやっても意味ない」と冷たく突き返されるだけ。

努力が報われない日々の中で、次第に「頑張る意味」がわからなくなっていきました。

自分である必要なんてない。誰でもできる仕事。自分は、ただ席を埋めているだけの存在。
やりがいも希望も感じられず、心はどんどん暗く沈み込んでいきました。

気づけば、家に帰っても家族と話すことすら億劫で、表情をつくることもできず、抜け殻のような自分がそこにいました。

そして、毎日のように思っていました

「こんな毎日が続くくらいなら、生きている方が辛いんじゃないか」と。

「がんばるほど、自分が壊れていった」

~働くほど不安が募り、誰かの感情を支えるたびに、自分の心が削られていった~

「このままでは壊れてしまう」と感じ、ある求人をきっかけに、家族のためにも転職を決めました

新しい職場では、前と違い、頑張れば頑張るほど評価される環境がありました。最初のうちは、大きなプロジェクトも任され、評価されるたびに嬉しかったです。

しかし、評価されるにつれ、不安も増していきました。

「本当に自分の力なのか?」
「周りがすごいだけじゃないのか?」

どんどん自分に自信がなくなってきました。

役職が変わるにつれ、自分の担当業務は増え続け、さらに部下のミスの尻ぬぐいもしないといけない。

「なんで自分ばっかり」と何度もイライラしたり、怒りがこみあげるけど、誰にも言えずにいました。

愚痴や不安、怒りや弱音といった、周囲の感情も一人で受け止めていました。

「自分が支えないと、この人はもっと壊れてしまうかもしれない」


そんな思いが頭から離れなくて、自分の感情かのように辛く、悲しく感じ、気づけば誰かの感情ばかりを優先して動いてばかりいました。

誰かが楽になるたびに、自分の心がすり減っていく感じがしました。

ストレスは溜まるものの、毎晩のように飲みに行っては、愚痴を聞き、転職してから始めた煙草を何本も吸いながら、夜遅くまで仕事の話をしていました。

深夜まで働く日々、忙しい時には翌朝まで働き、着替えに帰ってすぐに出社。
その日もまた翌朝まで仕事。

お客様へは何度もお詫び。
チームメンバの不満や不安を聞いては励ます。

家族のことは見向きもせず、自分の気持ちも見向きもせず、仕事のことばかり考え、日々を過ごしていました。

自分の気持ちを後回しにして、他人のために動くことが「正しい」と思い込んでいました。

本当は、悲しくて、しんどくて、助けてほしかった。

でも、そんな感情すら感じないふりをして、ただ黙々と働いていました。

気づけば、自分が自分じゃなくなっていました。

「癌の宣告と、空っぽの人生」

~死を意識して気づいた。頑張ってきたはずなのに、大切な人との記憶がひとつも残っていないことに~

そんな働き方で心も体もすり減らして、ある日、ついに体が悲鳴をあげました。
身体に違和感を感じ、検査を受けた結果、

「腫瘍が見つかりました。おそらく悪性です。来週精密検査をして、再来週のには手術を行います。会社にも連絡しておいてください。」

医師から言われるがままに会社に連絡し、しばらく休職。何が起こったのかもわからりませんでした。

恥ずかしながら「腫瘍」という言葉も知らなかったので、翌日検索したところ、「癌」であることを知りました。

「癌?自分が?」

父も、先輩も、先生も癌で亡くなっている。自分も死んでしまうかもしれない。

そう思ったとき、最初に浮かんだのが、「死んだあとの手続き、妻に伝えておかないと。」

会社の連絡先と、自分が会社で入っている保険や福利厚生についてまとめて、妻に伝えました。

次に浮かんだのが、「家族は生きていけるのか。」でした。

妻に預けていた自分の通帳を初めて見ました。職場の飲み会で使い込んでしまい、貯金はほとんどありませんでした。

加入している保険を調べ、「自分が死んだらどれくらいの保険金が残るのか、その保険で家族はいつまで生活できるのか。奥さんがパートで働くとして…。」

計算して、少し足りるか足りないかくらいでした。

「大丈夫かな…。」

と思って考えようとした瞬間…

目の前が真っ暗になりました。

自分が死んだあとのことを、確認することができない。

妻は、子どもたちは、どんな顔で生活しているのか。

笑ってるのか、友達とは楽しく過ごせるのか

お金は足りているのか。

なにも見ることができなくなる。

そんな当たり前のことに気付いた途端、息が苦しくなりました。そして心の中でこう思いました。

「死にたくない…」

その日の夜、一人布団の上で家族とのこれまでを振り返ろうとしました。

…思い出が、何も浮かんできませんでした。

子どもたちと普段何を話して、子どもたちは何が好きで、学校から帰ってきたら何をしていて。

私は、家族のことを、何も知らないことに気づきました。

涙が止まりませんでした。

家族のために毎日仕事を頑張ってきたはずなのに、家族との何気ない日々の記憶もなく、そしてこれから先、みんなの顔が見れなくなる。

心が辛く、深く後悔し、何度も胸が締め付けられました。

「生き延びたのに、何もできなかった」

~生きたいと思ったはずなのに、何をしたいかわからず、焦りと無力感だけが募っていった~

手術は無事に終わりました。しかし転移の可能性があると言われ、さらに会社を休み、数回にわたる精密検査と投薬治療を受けることになりました。

病気への不安に加えて、これまでの働き方で溜まっていた心身の疲れが一気にあふれ出したのか、眠れない日々が続き、体調も思うように良くなりませんでした。

「このままではいけない」
「なにかを変えたい」

そう思う気持ちはあっても、体はだるく、実際には何も手につかず、ただ毎日が過ぎていきました。

何がしたいのか、どうすればいいのかわからない。

そんな自分を責めては、「やっぱりこのままなんだ」と自信を失っていきました。

気づけば、根拠のない不安や焦りばかりが心に溜まっていきました。

「気づけたのに、進めなかった」

~生きづらさの理由が見えたのに、どう生きればいいかわからない~

ある日、妻が本屋にいくというので、断るのも虚しくてなんとなくついていきました。

本はあまり得意ではなく、これまで読んだのは、転職直後に手に取った自己啓発本くらいでした。

その日は前向きな言葉を見るのがどうしても苦しくて、気が重くなり、本棚の間をただ歩いていました。

そんな中、ふと目に飛び込んできたのが、「敏感な人が…」と書かれた表紙の一冊でした。

なぜかその言葉に心が引っかかり、少し読んでみました。
そこには、思い当たるような言葉が次々と並んでいて、驚きと、なぜだか少しだけ安心した気持ちがありました。

「自分のことが書かれているみたいだ…」

そんな不思議な感覚とともに、その本を買って買えり、すぐ読みました。

そこで初めて知った「HSP」という言葉。ページをめくる手が止まらず、胸の奥がざわざわしながらも、どこか腑に落ちるような感覚がありました。

“もしかしたら、自分もそうなのかもしれない”

それからは、心の穴を埋めるように、心理系の本を読み漁りました。

幼少期の記憶、親との苦しい関係、HSPという気質に加え、
「自分はアダルトチルドレンかもしれない」と気づきはじめました。

“やっと、自分のことが少しわかったかもしれない”

今までの生きづらさの理由がわかったようで、少しホッとしたような気持ちになりました。

けど、ただそれだけでした。

「じゃあ、どうすればいいのか?」

そこから先が、結局わからないままでした。なにをすればいいのかも、どう変わればいいのかもわからない。
ひとりきりで答えを探そうとするほど、心の奥から不安がわいてきて、焦って、また立ち止まってしまう。そんな日々の繰り返しでした。

せっかく「気づけた」はずなのに、どこにも進めない。

そんな自分が情けなくて、また自己否定が始まり、結局何ひとつ変われないまま、時間だけが過ぎていきました。

「カウンセリングで“話せた”ことが大きな一歩だった」

~はじめて自分の感情を受けとめてもらった。その体験が、私を少しずつ変えてくれた~

何をしたらいいのか分からないまま、「HSP」や「アダルトチルドレン」といった言葉を検索しているうちに、「カウンセリング」という選択肢に出会いました。

正直なところ、最初は半信半疑でした。

「他人に自分のことを話すなんて恥ずかしい」
「そもそも、たった1時間で何がわかるんだろう」

そう思いながらも、どこかで「自分ひとりでは変われない」という思いもあり、試しに一度だけでもと、お試しカウンセリングを受けてみることにしました。

私はこれまで、赤の他人に自分の本音を話したことがありませんでした。家族にも、友人にも、会社の人にも、本当の気持ちはほとんど隠して生きてきました。

だからこそ、最初はものすごく緊張していましたし、「この人に何が分かるんだろう」という疑いも正直ありました。

でも、実際に話し始めてみると、驚くほど自然に言葉が出てきました。

カウンセラーの方は、私と似た気質や経験を持つ方で、私の話の中にある感情の揺れや、背景にある想いを丁寧に汲み取ってくれました。
「そんなふうに思っていたんですね」と返してもらえるだけで、心がすっと軽くなっていくのを感じました。

自分のことを話して、受けとめてもらう。それだけで、こんなにも心が楽になるとは思っていませんでした。

これが知り合いだったら、きっと「変に思われたらどうしよう」「どこかに話が漏れるんじゃないか」と不安になっていたと思います。

でも、適度な距離感があるからこそ、かえって安心して話せました。まったくの他人だからこそ、こんなにも安心して気持ちを預けられるんだという気づきがありました。

カウンセリングを通じて、私は自分がHSP気質であり、アダルトチルドレンの傾向もあることに改めて気づきました。

最初は不安を感じました。

でも、カウンセラーの方はそれを「弱さ」ではなく、「感受性の豊かさ」や「人への深い思いやり」として捉えてくれました。

その言葉を聞いたとき、ほんの少しだけ「今のままの自分でもいいのかもしれない」と思えるようになりました。

「ちゃんと話せた」という体験は、私にとって大きな一歩でした。

「傷ついた経験が、カウンセラーとしての力になった」

~過去の痛みや生きづらさを通ってきたからこそ、いまはカウンセラーとして、同じように苦しむ人の気持ちに寄り添えています~

カウンセリングでは、心を聴いてもらうだけでなく、心理学や心理療法に基づいた具体的な対処法も提案していただきました。

もともと私は心理学に興味があり、自己理解を深めようと関連の本を読んでいた時期もありました。

中には、その時に読んだことのある内容もありましたが、不思議とそのときの印象とはまったく違って感じられました。

「これが、今ここで、こうやって活きるのか」

本で学んでいた知識が、自分の中の実感とつながった瞬間でした。
そしてふと思いました。

私自身がこれまで感じてきた苦しさや孤独、不安や葛藤。そして、そこから少しずつ回復に向かって歩み出せたこの経験。それらは、決して無駄ではなかったのではないかと。

私がこれまで学んできたことや経験してきたこと。そして、私自身がHSPやアダルトチルドレンとして歩んできた人生。

それらすべてが、同じように悩む誰かのために活かせるかもしれない。
むしろ、そういう自分だからこそ寄り添える領域があるのではないか。

その気づきが、私の中で大きな転機となりました。

「誰かの心に、そっと寄り添える人になりたい」

そんな想いが、少しずつ芽生え、そして、今のカウンセラーとしての自分があります。

さいごに

ここまでお読みいただきありがとうございます

現在、私はカウンセラーとして活動しています。

過去の私のように、 「本音が言えない」 「頑張っているのに苦しい」 「誰にもわかってもらえない」…そんな思いを抱えて生きている人に、そっと寄り添いたいと思っています。

人生は、いつからでもやり直せます。どんなに苦しい時期があっても、必ず希望は見つかります。

もしあなたが、今、心が少しでもしんどいと感じていたら、 その心の奥には、あなたの“本当の声”が眠っているのかもしれません。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。

もしあなたが、かつての私のように、自分自身や人間関係などに悩み、辛い気持ちをかけているなら、私と一緒に、あなたの“本当の声”を聴いてみませんか?
自分らしさに気付くお手伝いをします。
まずはお試しカウンセリングで私やカウンセリングの相性を体験してみてください。