
HSP・AC専門認定心理カウンセラー
たかはる
●HSP認定心理カウンセラー
●アダルトチルドレン認定心理カウンセラー
【略歴】
■ 幼少時期
・関西で生まれる
・アルコール依存症の父から暴力を受け、人の目をうかがって過ごす
■ 学生時代
・HSP気質
・環境の変化で体調をよく崩す
・父親の影響でチック症を発症
・自己肯定感が低く、人目を気にして育つ
■ 民間企業へ就職
・周囲の環境になじめず孤独感を強く感じる
・他人軸な選択が自分を苦しめる
■ コンサルタントへ転職
・自己否定を繰り返す
・人のために自分を犠牲にし続ける
・繊細さを活かして1,000人以上の動機付けや心のケア
■ ガンとの闘病生活
・苦しい闘病生活
・死と向き合ったことで自分を深く見つめなおす
■ カウンセリングとの出会い
・不眠症、自立神経失調症の改善
・30年以上にわたる自己否定・他人軸を克服
■ 開業
・現役カウンセラーから心理学、潜在意識、心理療法、催眠療法の指導を受け、専門スキルを習得
『HSP専門心理カウンセラー認定』
『アダルトチルドレン心理カウンセラー認定』
・HSP・アダルトチルドレン専門カウンセリングココロのじかんを開業
はじめまして。
HSP・AC専門認定心理カウンセラーのたかはるです。
こうして私のプロフィールをご覧いただき、本当にありがとうございます。
カウンセリングは「人と人」との関係の中で行われる、安心できる穏やかな時間であるべきだと私は思っています。だからこそ、カウンセラーとの相性はとても大切です。
少し長くなりますが、このページでは、私自身のこれまでの人生の歩みや、どんな想いで今の仕事をしているのかを、ゆっくりとお伝えできたらと思っています。
私のことを少しでも知っていただくとともに、あなたの心が、少しでも穏やかに」なるきっかけとなれば幸いです。
プロフィール
『機能不全家族で育った幼少期』

共働きの父と母、歳の離れた姉が二人の家族のもとに生まれました。一番上の姉は少し離れたところで一人降らしをしていました。
私が生まれた時にはすでに父はアルコール依存症で、いつもお酒に酔っては家族に暴力をふるっていました。私も2~3歳くらいのころから、怒鳴られ、暴力を受けていた記憶が今でもかすかに残っています。
両親の仲も悪く、いつも喧嘩をしていました。父の暴力から逃げるため、母と、夜遅く家を出て、姉の家で夜を過ごすことも多かったです。
父と母が私を引っ張りあい、私の肩の関節が外れたことも何度かありました。
母が父から暴力を受けている横で、一人で泣いていたこと、母と家出をして夜道を泣きながら歩いていたことは、今でも鮮明に覚えています。
「良い子でいなければ暴力を受ける」という恐怖を持ち、人の目をうかがって過ごしていました。
家の外では、近所の子どもたちにいじめられていました。外で遊んでいると、少し年上の子どもら何人かに囲まれて、叩かれたり、蹴られたり、背中に大量の落ち葉を入れられたりしました。
家でも外でも、一人ぼっちでした。
家にいるのが嫌で、一人で近くの公園に遊びに行って、一人で遊んで、いじめられて帰ってきていました。
その頃から、良い子でいなければ暴力を受ける、いじめられるという恐怖を覚え、人の目をうかがって過ごすようになっていました。
『身体に異変が起き始めた学生時代』

父のアルコール依存や暴力は変わらず続いていました。
小学生2年生のときから、頻繁にまばたきをする、チック症がはじまりました。
そして、口をゆがめる、片方の頬が引くつくなどの顔面痙攣症もはじまりました。特に父に叩かれていた左側の頬や左目のまばたきがひどく、何をしているときもずっと症状が治まりませんでした。
また、喉を鳴らす、首や肩を傾けるなど症状はどんどん広がっていきました。
私の痙攣が鬱陶しく感じていた父は、痙攣の症状が出るたびに、私を怒鳴りつけていました。私も怖くて痙攣をぐっと抑えようとするのですが、余計に症状がひどくなる一方でした。
そしてその頃から、痙攣を見られるのが嫌で、人の目を見て話をすることができなくなっていました。
小学校高学年の時、林間学校や修学旅行に行くと、私は必ず眠れず、目が腫れ、喉がくるしくなり咳が止まらなくなっていました。
今思うと、HSPの気質が影響して、環境の変化でストレスを強く感じ、身体にも症状が出ていたのだと思います。
自分は、周りの友達とは違うと感じていました。私だけ、顔が痙攣していて、私だけ、目や喉の痛みで遠足を楽しめない、それが辛かったです。
なんでこの家族に生まれてきたのか。なんで自分ばかりこんな辛い思いをしないといけないのかと、誰にも言えない苦しさを、一人で抱えていました。
『周りに合わせることしかできなかった自分』

小学生までの経験から、中学生になることには、自己肯定感の低い、他人軸で生きる人間になっていました。
「いい子でいなければいけない」
「周りに認められたい」
「恥ずかしい思いをしたくない」
「一人ぼっちになりたくない」
学校では、どこかのグループの輪に入るために必死でした。休憩時間も、帰る時間も。一生懸命どこかの輪に入ろうとしていました。
一人でいることに恥ずかしさを感じ、また、一人でいることの寂しさを感じるのがとても怖かったです。
自分を出せず、人に合わせた生き方、チック症のコンプレックスを隠したい想いで、周りを十分に見渡すことができない不自由な生き方を続けていました。
『自己否定を繰り返す社会人生活』

地元の民間企業に就職しました。
やっと家族も安心し、安定した道を進みだせたと思っていました。
でも、現実は違いました。
どれだけ頑張っても評価されることのない世界。
どんなに早く正確に仕事を終えても、意味がなく、むしろ時間をかけた人のほうが残業代で給料が高くなる。
新人なりに一生懸命考えた企画も、「そんなことやっても意味がない」と冷たく突き返されるだけ。
努力が報われず、誰にも認められない中で、孤独感や自己否定を強く感じるようになりました。
「自分はなんでこんなことをしているんだ…」
「誰も自分を見てくれない…なんのためにやってるんだ…」
「自分なんて、ここにいる意味があるのか…」
「自分なんて…自分なんて…」
気づけば、家に帰っても家族と話すことすら面倒に感じ、表情をつくることもできず、抜け殻のような状態でした。
「こんな毎日が続くくらいなら、生きている方が辛いんじゃないか」
毎日のように思っていました。
幼少期から抱えていた自己否定が、この頃からどんどん強くなっていきました。
『誰かのために、自分を犠牲にする日々』

「このままでは壊れてしまう」と感じ、ある求人をきっかけに、家族のためにも転職を決めました。
新しい職場では、前職と違い、頑張れば頑張るほど評価される環境がありました。最初のうちは、大きな仕事を任され、評価されるたびに、自分が認められていると感じ、嬉しかったです。
しかし自己否定を拭い去ることはできず、評価されるにつれ不安も増していきました。「本当に自分の力なのか?」
「自分の周りがすごいから自分もすごいと思われてしまってるんじゃないか?」
どんどん自分に自信がなくなってきました。
役職が変わり、管理職として、部下の面倒を見たり、育てる役割となりました。
累計で数百人の愚痴や不安、怒りや弱音といった、周囲の感情を受け止めていました。
HSPの繊細さ、敏感さが役立ち、人の面倒を見ることは得意なのだと気づきました。
相手の感情や想いが、些細な表情や行動から感じ取ることができるので、仲間が辛いときに助けてあげ、周りからも信頼を得ることができました。
しかし、HSPとしての苦しさも感じていました。
「自分が支えないと、この人はもっと壊れてしまうかもしれない」
そんな思いが頭から離れなくて、自分の感情かのように辛く、悲しく感じて、誰かの感情ばかりを優先して動いてばかりいました。
気づけば、周りの忙しさや、辛さを減らすために、自分が代わりに引き受けてしまっていました。そして上司からも仕事を頼まれ、断ることができずに、すべてを自分で抱え込んでしまっていました。
「なんで自分ばっかり」と何度もイライラしたり、怒りがこみあげることもありました。でも、誰にも言えませんでした。誰かが楽になることで安心する一方で、自分の心がどんどんすり減っていたことには、このときはまだ気付いていませんでした。
仕事はどんどん忙しくなっていき、深夜まで働く日々が続きました。特に忙しい時には翌朝まで働き、着替えに帰ってすぐに出社。その日もまた翌朝まで仕事。
家族のことは見向きもせず、自分の気持ちも見向きもせず、仕事のことばかり考え、日々が過ぎていきました。
自分の気持ちを後回しにして、他人のために動くことが「正しい」と思い込んでいました。
不安が続き、少しずつ発症していた不眠症がどんどん悪化していきました。なんとかしたいと思い、心療内科へ通うも、不安を取り除くための治療はなく、ただ睡眠剤を処方されるだけでした。薬は効果がありました。よく眠ることができ、最初の頃は嬉しかったです。
しかし、その喜びも長くは続かず、次第に、朝起きた時の体のだるさが強まっていきました。さらには、処方に頼らないと休みの日ですら眠ることができない依存状態となってしまいました。
気づいたころには、自分が自分じゃなくなっていました。
今抱いている感情は、自分のものなのか、他人のために、作り上げられたものなのかもわからなくなっていました。
『癌の宣告と闘病生活』

そんな働き方で心も体もすり減っていたある日、身体に違和感を感じたので、検査を受けました。
その結果、医師から、「腫瘍が見つかりました。おそらく悪性です。すぐに精密検査をして、来週には手術を行います。会社にも連絡しておいてください。」
医師から言われるがままに会社に連絡し、しばらく休職。
何が起こったのかもわかりませんでした。恥ずかしながら「腫瘍」という言葉も知らなかったので、翌日検索したところ、「癌」であることを知りました。
「癌?自分が?」
父も、先輩も、先生も癌で亡くなっている。自分も死んでしまうかもしれない…。
最初に頭に浮かんだのが、「死後の手続きを妻に伝えること」でした。
会社の連絡先と、自分が会社で入っている保険や福利厚生についてまとめて、妻に伝えました。
次に頭に浮かんだのが、「家族は今後の経済面」でした。
加入している保険を調べ、家族の今後の生活が大丈夫か計算しました。
「大丈夫かな…。」と今後のことを想像しようとした時…。
目の前が真っ暗になりました。
自分が死んだあとのことを、確認することができないことに気付きました。
「どんな顔で生活しているのか」
「友達と楽しく過ごせているのか」
「お金は足りているのか」
なにも見ることができなくなってしまう。
「死」が、具体的に頭の中でイメージされました。
そして、急に息が苦しくなり、心の中でこう思いました。
「死にたくない…」
そんなことを思ったのは初めてかもしれません。
「自分なんて生きている価値があるのか」
「自分なんかがいなくても何も変わらない」
「自分なんていてもいなくても誰にも関係ない」
そんなふうに思いながら、これまで自分に興味も自信もなく生きてきた自分が、初めて生きることに強い意志を持った気がしました。そう思えた自分が、少し嬉しくもありました。
その日の夜、一人で家族とのこれまでを振り返ろうとしました。
しかし…、思い出が、何も浮かんできませんでした。子どもたちと普段何を話して、子どもたちは何が好きで、学校から帰ってきたら何をしているのか。
私はいつからか、家族のことを何も知らなかったことに気づきました。涙が止まりませんでした。
家族のために毎日仕事を頑張ってきたはずが、家族との何気ない日々の思い出もなく、そしてこれから、その思い出を作ることもできなくなるかもしれない。
また息が苦しくなり、同時に深く後悔し、何度も胸が締め付けられました。
『生きることができても、何もできなかった』

手術は無事に終わりましたが、投薬治療が必要となりました。さらに休職し闘病生活が始まりました。
病気への不安に加えて、これまでの働き方で溜まっていた疲れが一気にあふれ出したのか、眠れない日々が続き、体調も思うように良くなりませんでした。
ゆっくり休んで、体調を取り戻そうと思う一方で、休んでいることへの罪悪感と焦燥感を感じていました。
「このままではいけない」
「なにかを変えなければ」
そんな気持ちで、じっとしていられませんでした。
しかし体は重く、実際には何も手につかず、焦りや不安を抱えたまま、ただ毎日が過ぎていきました。
「何がしたいのか、どうすればいいのかわからない。」
そうやって自分を責めては、何も動けずにいる自分に、「やっぱりこのままなんだ」とさらに自信を失っていきました。
『HSPだと気づけた、けど楽になる方法はわからない…』

ある日、本屋に立ち寄ることがありました。本はあまり得意ではなく、転職直後のやる気で読んだ、自己啓発本以降は、特に何も読んでいませんでした。
その日は前向きな言葉を見るのがどうしても苦しくて気が重くなったので、本棚の間をただ歩いていました。
そんな中、ふと目に飛び込んできたのが、「敏感すぎる人が…」と書かれた一冊の表紙でした。
なぜかその言葉に心が引っかかり、少し読んでみました。
そこには、思い当たるような言葉が次々と並んでいて、自分のことが書かれているような気がして、その本をすぐに買いました。
そこで初めて「HSP」という言葉を知りました。「もしかしたら、自分もそうなのかもしれない」と、少しだけ安心した気持ちになりました。
もともと、人の行動心理などには興味があったのですが、特にそれ以上でもありませんでした。しかしこの本をきっかけに、人の心に強く興味を持ち、心理系の本を読み漁りました。
幼少期の記憶、親との苦しい関係から、HSPという気質に加え、「自分はアダルトチルドレンかもしれない」と気づきはじめました。
今までの生きづらさの理由がわかったようで、また少し、ホッとしたような気持ちになりました。
しかし、ただそれだけでした。
「じゃあ、どうすればいいのか?」
そこから先は結局何も変わりませんでした。この知識を得てなにをすればいいのかも、どうすれば良くなっていくかもわからないままでした。
ひとりで考え続けますが、やっぱり何もわからず、ただ不安と焦りの感情だけが強くなっていく。やっぱりそんな日々の繰り返しでした。
そんな自分が情けなくて、「せっかく気付いたことがあるのに、結局変われないままだ」とまた自己否定をしてしまっていました。
『カウンセリングとの出会いが、私を変えた』

何をしたらいいのか分からないまま、「HSP」や「アダルトチルドレン」といった言葉を検索しているうちに、「カウンセリング」という選択肢に出会いました。
最初は半信半疑でした。
「自分のことを話すなんて恥ずかしい」
「他人に少し話しても、自分の悩みが理解してもらえるわけがない」
そう思いながらも、どこかで「自分ひとりでは変われない」、「何か一歩を踏み出したい」という想いから、お試しカウンセリングを受けてみました。
最初はものすごく緊張しました。
「この人に何が分かるんだろう」という疑いもありました。でも、実際に話しを進めていくうちに、あれもこれも話しておきたいという想いから、気づけば私の話が終わったときには、とっくにカウンセリング時間を過ぎていました。
しかしカウンセラーの方は、時間を全く気にすることなく私の話を聞いてくれました。私と似た気質や経験を持つ方で、話の中にある感情の揺れや、背景にある想いを丁寧に理解してくれました。
自分のことを話し、受けとめてもらうだけで、スッキリした感覚がありました。
知り合いに同じことを話していたとしたら、きっと繊細な私は、「変に思われたらどうしよう」「どこかに話が漏れるんじゃないか」と不安と後悔でさらに辛くなっていたと思います。
また、カウンセリングを通じて私は、自分がHSP気質であり、アダルトチルドレンの傾向もあることを改めて認識しました。カウンセラーの方はそれを「弱さ」ではなく、「感受性の豊かさ」や「人への深い思いやり」が強い証と、長所として捉えてくれ嬉しく感じました。
心の仕組みについても教えていただきました。心理学に興味を持つ私にとっては、やはりとても興味深く、楽しくもありました。自分はこの分野が好きなんだな。と改めて気づくことができました。
一番大きかったのは、「自分でも変われそうだ」と感じられたことでした。
これまで、漠然としていた変化のイメージが、具体的な行動や考え方でイメージすることができ、少し前向きになれるきっかけとなるカウンセリングでした。その後もカウンセリングを継続しました。
継続カウンセリングでは、悩みや不安を聴いてもらうだけでなく、心理学や心理療法に基づいた具体的な対処法も提案していただきました。
私が受けたカウンセリングでは、定型的なコースではなく、私に合った独自のプログラムで進めていただけました。私の場合、特に自分に自信が持てないことへの不安が強かったので、その悩み改善を重点的に、私のペースに合わせて実施いただきました。
もちろん、すぐには改善しませんでしたし、時間はかかりました。しかし、一人で考えている時期に比べると、早く、そして確実に前向きな気持ちになり、自分が好きになっていくことに喜びを感じることができました。
『私の持つ経験・能力・感性を悩み続ける人々のために役立てたい』

私は、HSP気質であり、機能不全家族(アダルトチルドレン)で育ちました。とても苦しく、辛い日々でした。そして社会人になり、大病を患い、苦しい闘病生活を経て、今「自分が本当に大切にしたいもの」に気づきました。
もし私のように、辛さや苦しさで「自分の人生に希望が持てない」「生きるのが辛い」と感じている人がいるなら、私のようなどん底からでも新たな人生を進みはじめることができることを伝え、その人々の心を救いたいと強く思いました。
そのために、自分は何を持っているのか、何ができるのかを深く考えました。
● HSPとしての気質
私は、繊細な気質です。その繊細さで、人の感情や環境の変化に敏感に感じとることができ、人の悩みや不安を、深く共感し、理解することができます。
● アダルトチルドレンで育ち、自己否定を繰り返してきた経験
私は、機能不全家族(アダルトチルドレン)で育ちました。親の暴力から、人の顔色をうかがう生き方を強いられ、自分を見失った経験があります。そしてその悩みを乗り越えた経験を活かすことができます。
● 心理学・心理療法への知識・知見
私は、心理学や心理療法に非常に興味があり多くを学びました。自分がカウンセリングを受けた心理療法の経験と、心理学、心理療法の学びの中で得た幅広い知識を活かして、最適なカウンセリングを提案できます。
● 社会人キャリアで大勢の心のケアをしてきた実績
元コンサルタントとして、企業の抱える複雑な課題を整理、言語化し、多くの問題を解決してきた実績があります。また、10年以上にわたり、管理職として、合計1000人以上の人と組織し、繊細な気質を活かし、動機付けや心のケア、良好なチーム作りを実践し信頼を勝ち得てきた経験を活かして、人の悩みや不安を整理し、心をケアすることもできます。
自分が生まれ持った感性、身につけた能力、経験を最大限に発揮して、私と同じように悩み、苦しむ人のために役立ち、一人でも多くの人の助けとなる。と強く決意し、現在心理カウンセラーとして活動し、心のお悩みを持つ多くの方々をご支援させていただいております。
さいごに

~ここまでお読みいただきありがとうございます~
私は、自己投資というものをしたことがありませんでした。
もちろん、その時のストレスや不安を和らげるために、旅行や、外食、買い物はよくしていました。しかし、どれも一時的な緩和でしかなく、根本が解決されていないままでした。
そんな私にとって、カウンセリングは初めて「ちゃんとした」自己投資と感じることができました。
カウンセラーとしての心の専門性と経験、そしてなにより、一人で悩んできたことも、助けを借りることで、これまでより早く、安心して自分が成長できるのだと感じました。
一方で、こうも思いました。
・心理学や心理療法を早く知ることができていたら、もっと楽になれていたのに
・早く出会っていれば、こんなに辛く苦しい思いをしなくてよかったのに
これまで一人で悩んでいた長い時間を、後悔しました。
私たちが持っている時間は有限です。
「あなたが本当に大切にしたいものは何ですか?」
あなただけの大切なものを見つけるために、全力でサポートさせていただきます。